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世界と闘う人が読む「ビジネス×教育」ブログ

The Very First Day

あれから15年が経つ。私は15才の時に単身でアメリカへ渡った。

周りは進学受験の準備を始めていた。べらぼうに成績が良かったわけでもない私は、周りと同じように勉強して、同じような高校へ入学し、同じような大学を卒業し、同じような会社に入社し、同じような車、家を買う、いわゆる「普通」の人生を歩むことに対して、強い違和感を感じていた。「何か違う事をしたい」と漠然に思っていた矢先、留学の話しが舞い込んできた。留学の話しには有無を言わずに食らいついた。周りの反対もあるなか、アメリカ行きの飛行機に乗り込んだ。

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当時はまさに、YES, NO, OKくらいの英語力。ろくに一人で飛行機に乗ったことすらないまま、成田国際空港からシカゴ国際空港を経由し、ボストン・ローガン国際空港行きの13時間の旅、いや、その時は13時間の感覚すら無かった。ボストン空港からは、学校の迎えを事前に手配してもらっていた。最終目的地はニューハンプシャー州の学校、ボストンから3時間ほど北上したカナダ国境近くである。

成田を飛び立つ前に、シカゴで乗務員がゲートまで案内してもらえると伝えられていた。

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シカゴ到着。そんな乗務員はどこにも見当たらない。乗客は次々と各々の搭乗ゲートにせっせと向かう。一人取り残される。どこに行けばよいのか、聞くにも聞けない。日本へ電話の掛け方すら分からない。乗り遅れる心配がつもるなか、どうすることもできず、全米第二位の経済都市シカゴのオヘア国際空港でひたすら迷う。

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どれくらいさまよったか、親切な婦人が話しかけてくれた。乗り換えのチケットや学校の住所を見せると、国際ターミナルから国内ターミナルのゲートまで、手をとり連れていってもらった。乗り換えのフライトは既に飛び立っていた。次の便までひたすら待つ事になる。フライトを乗り過ごしたことすら当時は理解できていなかった。2時間くらいだろうか、再び案内された。搭乗する便は小さなプロペラがついた旅客機。腰をかがめて乗り込む。本当にボストンまで行けるのか心配はマックス値を超えていた。このままメキシコまで連れてかれて売られるのではと変に想像が膨らむ。着陸。どうやらボストンに無事ついた。乗り遅れた為、学校からの迎えのは当然ない。再びボストン空港をさまようことになる。タクシー乗り場に行くと、バスに乗るよう連れていかれた。

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真っ暗の中、ゆっくりとバスが走り出す。乗客はひとり、またひとりと、降りて行く。バスに乗ったはいいが、どこで降りるのか分からない。まさか降り過ごしたのではないかと緊張感が絶えず、一睡もできない。翌朝、奇跡的に学校に辿り着いた。これがアメリカ第一日目でした。

 

思い切って日本を飛び出して以来、アメリカには10年以上いさせてもらった。現地の方や友人に支えてもらいながら、自分なりに努力し、全てを乗り越えて来た。その結果、「ターニングポイント(原点)」や、何があっても揺るがない「コア(軸)」を見つけることができ、どんな時でも、どんな場所でも、目標・夢実現を達成する「ぶれない自分」を築くことができた。

これらは、楽しいだけの旅行やワーホリのように、現地に「触れる」だけではなく、自分で考え、実際に行動し、現地に「浸かる」ことで初めて、本質的に体験し自分のものにできたかと思います。

 

新時代アジアで、アジアに浸かる。興味がある方は説明会へ是非お越し下さい。

 

 

Holla